パチ屋での父親
小学生の高学年になった頃、夜、会社帰りの父親を駅まで迎えに行った。
その時、生まれて初めてパチ●コ屋に連れて行って貰った。
ホール内は軍艦マーチが流れ、機種はほとんどが、チューリップがメインのオール10ばかりだった。
カウンターに玉貸機があり、ロング箱に数百円の玉を調達し遊戯する。
父親が遊戯する横の空席で、好奇心丸出しの俺はチョコンと座り眺めていた。
暫くして父親が、俺の台の上皿に2握り程の玉を分けてくれた。
見様見真似で打ち出した俺は、パチ●コのゲーム性に魅了されてしまった。
玉がチューリップに入り、開いて閉じて玉が出て来ての単純なゲーム性に一喜一憂していた。
少しして父親は持ち玉が無くなり、手元の空のロング箱を持ち、席を立った。
どうやら追加で玉を調達しに行くみたいだ。
自分の台に集中していた俺は、父親が戻って来るのが遅すぎると思い、玉貸機のあるカウンターに様子を見にいった。
そこには、落ちている玉を拾い集めている父親の姿があった。
俺は子供心に複雑な気持ちになった。
結局その日は、親子でスラれて店を出た。
家に帰る途中、堪らず父親に先程の状況を問い詰めた。
すると父親は、玉貸機の玉をロング箱に入れる時に、こぼれてしまったので拾い集めていたと言う。
真実は分からなかったが、俺にはそうは見えなかった。
588 :我が生涯に百片の悔いあり 2006/12/29(金) 01:22:14 ID:Av5voEn1
父親の情けない姿を目撃した俺は、パチ●コ屋に二度と連れて行って貰える事は無かった。
小学生の俺もパチ●コは面白かったが、これは大人の遊びだと思っていたので諦めもついていた。
或る時、父と母が給料の事で言い争っていた。
父は毎月、月末に手取り十数万の給料を母に渡していたみたいだが、
どうやらその月は、いつもより少ない給料しか渡さなかったようだ。
只でさえ少ない給料が、更に目減りしていた金額に、母は呆れていた。
小学生の俺には訳が分からなかったが、思い起こせば父が給料日の帰り道、
パチ●コで負けた可能性が高かった。
パートタイマーで数万の生活費を稼いで、家計の足しにしていた母が怒るのは無理もない。
どうしようも無い父だった。
その翌年の正月が来た。子供の楽しみはお年玉しかない。
両親共地方の田舎の出身で、大阪に出てきて周りには親戚もいない。
従って毎年のお年玉は親からしか貰えなかった。
だから暗黙の了解で、父から5千円、母から5千円を貰える事になっていた。
2コ上の兄貴と、楽しみに元旦を迎え、両親共からお年玉を貰った。
母に貰ったお年玉袋を覗くと、5千円が入っていた。
父からの袋を覗くと、千円札1枚と100円玉が5枚しか入ってなかった。
兄貴も同じだった。
父は「今年は重さで勝負や!」
などと訳の分からない事を言っていた。
これも思い起こせばパチ●コで負けた結果だった様に思う。
本当にどうしようも無い父だった。
【転載元】http://news21.2ch.net/test/read.cgi/slot/1165935101/ ●注目記事
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